1: もろ禿HINE! ★@\(^o^)/ 2016/03/29(火) 07:21:29.70 ID:CAP_USER.net
千年前のバイキングが埋めたお宝が出土、英国 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/a/032800020/
英国スコットランドのガロウェイ地方で発掘されたバイキングの財宝が、このほど公開された。2014年9月に宝探し愛好家が金属探知機を使って発見したもので、これまで考古学者らが発掘調査してきた。古代のゲルマン人が使ったルーン文字が刻まれた銀の腕輪や、アングロ・サクソン人が築いた七王国時代の銀のブローチ、金の宝飾品といった財宝は、いずれも飾り立てられた金属の容器に収められていた。
「非常に珍しく、素晴らしい品々です」と語るのは、エジンバラの在野の考古学者でバイキングが専門のオルウィン・オーウェン氏。この財宝を所有していたバイキングが「容器いっぱいに財宝を詰め込んで布で何重にもくるみ、地面に埋めたのです」(参考記事:「陶器で隠蔽、聖書時代の財宝」)
民謡に基づいて探索
中世の記録では、バイキングがブリテン諸島に現れたのは紀元790年代だとされている。スカンジナビア半島からやってきた荒々しい侵略者たちは、突如として沿岸に現れるや、裕福な修道院を襲い、地元の村々を恐怖で支配した。その後の300年、野心的なバイキングの首領とその手下たちは、イングランドやアイルランド、ウェールズ、スコットランドを征服して植民地化したが、最終的にその子孫たちは滅ぼされるか、あるいは現地に同化していった。
考古学者らは、出土した銀の腕輪などの様式から、今回のガロウェイの財宝を10世紀初めのものと考えている。その頃、バイキングはアイルランドで激しい反撃に遭っていた。財宝を金属探知機で発見したデレク・マクレナン氏は、地元ガロウェイの民謡に「バイキングの軍隊が、ガロウェイのある場所でスコットランド軍に敗れる様子が歌われています」と話す。
こうした伝承や他の裏付けなどに関心を抱いたマクレナン氏は、バイキングの痕跡をつぶさに探してみることにした。そして2014年9月1日、彼はいかにもバイキングらしいデザインの銀の腕輪、大きな銀の十字架、その他2つの遺物を発見。連絡を受けた州当局は、考古学者のアンドリュー・ニコルソン氏を派遣した。「考古学者が古い財宝を掘り当てることはまずありません。たいていは道路を造った際に偶然見つかるか、アマチュアの宝探し愛好家が見つけるのです」とオーウェン氏は語る。(参考記事:「発掘した財宝は誰のもの? 英米の違い」)
考古学者が指揮する本格的な発掘により、ガロウェイの財宝の山は2つあることがわかった。チームは浅い方の層から、金でできた鳥の形のピン、銀塊と腕輪など67個の財宝を掘り起こした。その多くはアイルランドの金属細工師によるものだった。持ち運べるサイズの銀製品は、バイキングの世界で貨幣として用いられていた。ニコルソン氏は、バイキングの支配層はこうした銀を切り分けて牛や日用品を買い、忠実な部下に褒美として与え、「傭兵に報酬として」支払っていたと話す。
さらにニコルソン氏らの発掘チームは、浅い層から8センチほど深い場所に、ふた付きの大きな金属容器が上下さかさまに埋まっているのを見つけた。おそらく、地下水が入るのを防ぐためだろう。中には、革や上質の布でくるまれた貴重な品々が詰め込まれていた。
「乱雑に突っ込まれているようなものは1つもありませんでした」とオーウェン氏。遺物は「丁寧に包まれて、すき間なくぎっしりと詰め込まれていました。バイキングにとってとても重要だった、特別な品物であったことがわかります」と、ニコルソン氏は付け加えた。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/a/032800020/
英国スコットランドのガロウェイ地方で発掘されたバイキングの財宝が、このほど公開された。2014年9月に宝探し愛好家が金属探知機を使って発見したもので、これまで考古学者らが発掘調査してきた。古代のゲルマン人が使ったルーン文字が刻まれた銀の腕輪や、アングロ・サクソン人が築いた七王国時代の銀のブローチ、金の宝飾品といった財宝は、いずれも飾り立てられた金属の容器に収められていた。
「非常に珍しく、素晴らしい品々です」と語るのは、エジンバラの在野の考古学者でバイキングが専門のオルウィン・オーウェン氏。この財宝を所有していたバイキングが「容器いっぱいに財宝を詰め込んで布で何重にもくるみ、地面に埋めたのです」(参考記事:「陶器で隠蔽、聖書時代の財宝」)
民謡に基づいて探索
中世の記録では、バイキングがブリテン諸島に現れたのは紀元790年代だとされている。スカンジナビア半島からやってきた荒々しい侵略者たちは、突如として沿岸に現れるや、裕福な修道院を襲い、地元の村々を恐怖で支配した。その後の300年、野心的なバイキングの首領とその手下たちは、イングランドやアイルランド、ウェールズ、スコットランドを征服して植民地化したが、最終的にその子孫たちは滅ぼされるか、あるいは現地に同化していった。
考古学者らは、出土した銀の腕輪などの様式から、今回のガロウェイの財宝を10世紀初めのものと考えている。その頃、バイキングはアイルランドで激しい反撃に遭っていた。財宝を金属探知機で発見したデレク・マクレナン氏は、地元ガロウェイの民謡に「バイキングの軍隊が、ガロウェイのある場所でスコットランド軍に敗れる様子が歌われています」と話す。
こうした伝承や他の裏付けなどに関心を抱いたマクレナン氏は、バイキングの痕跡をつぶさに探してみることにした。そして2014年9月1日、彼はいかにもバイキングらしいデザインの銀の腕輪、大きな銀の十字架、その他2つの遺物を発見。連絡を受けた州当局は、考古学者のアンドリュー・ニコルソン氏を派遣した。「考古学者が古い財宝を掘り当てることはまずありません。たいていは道路を造った際に偶然見つかるか、アマチュアの宝探し愛好家が見つけるのです」とオーウェン氏は語る。(参考記事:「発掘した財宝は誰のもの? 英米の違い」)
考古学者が指揮する本格的な発掘により、ガロウェイの財宝の山は2つあることがわかった。チームは浅い方の層から、金でできた鳥の形のピン、銀塊と腕輪など67個の財宝を掘り起こした。その多くはアイルランドの金属細工師によるものだった。持ち運べるサイズの銀製品は、バイキングの世界で貨幣として用いられていた。ニコルソン氏は、バイキングの支配層はこうした銀を切り分けて牛や日用品を買い、忠実な部下に褒美として与え、「傭兵に報酬として」支払っていたと話す。
さらにニコルソン氏らの発掘チームは、浅い層から8センチほど深い場所に、ふた付きの大きな金属容器が上下さかさまに埋まっているのを見つけた。おそらく、地下水が入るのを防ぐためだろう。中には、革や上質の布でくるまれた貴重な品々が詰め込まれていた。
「乱雑に突っ込まれているようなものは1つもありませんでした」とオーウェン氏。遺物は「丁寧に包まれて、すき間なくぎっしりと詰め込まれていました。バイキングにとってとても重要だった、特別な品物であったことがわかります」と、ニコルソン氏は付け加えた。
【【考古学】千年前のバイキングが埋めたお宝が出土、英国 フランク王国の容器から地中海の絹織物まで続々】の続きを読む