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    カテゴリ: 考古学

    1: もろ禿 ◆SHINE.1vOk もろ禿HINE! ★@\(^o^)/ 2015/07/28(火) 08:03:52.43 ID:???.net
    世界最古のコーランを発見、英大学が発表 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
    http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/a/072700021/


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    英国の大学図書館で発見された2ページにわたるコーランは、1400年近く前のものと判定された。現存するイスラム教聖典の写本の中では最も古いものだ。(Photograph by Frank Augstein, Associated Press)
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    写本は、ヒジャジというアラビア語の初期の書体で書かれている。余白に記載されている通り、バーミンガム大学が所有するミンガナ・コレクションの1つ。(Photograph by Joe Giddens, PA Wire, Associated Press)


     世界最古とみられるイスラム教の聖典コーランの一部を発見したと、英国バーミンガム大学のキャドバリー・リサーチ・ライブラリーが発表した。2ページにわたる写本は西暦568~645年に書かれたものだという。目に触れる場所にはあったのだが、これまで誰も気付かなかった。

     バーミンガム大学教授でキリスト教・イスラム教学が専門のデービッド・トーマス氏は、「年代測定の結果が正しければ、イスラム教が成立した時期から20年ほど後に書かれたものだということになります」と語った。

     写本は同大学が所蔵する中東の文献の中に紛れていた。大学院生のアルバ・フェデーリ氏が、やや後年の本に古いページがあるのを発見したのだ。トーマス氏によると、この2ページは1920年代に図書館が入手し、なぜか別のコーランの一部として綴じ込まれたという。フェデーリ氏は、この2ページだけ筆跡が違うことから誤りに気が付いた。

     写本を売却した古物商との書簡には取引の詳細が記されており、別個に2件の売却があったことが判明。この2ページは本とは別の、かなり古い写本ではないかというフェデーリ氏の疑念を裏付けることとなった。

     そこで、英オックスフォード大学の研究所が放射性炭素年代測定法による分析を行ったところ、写本に使われている羊皮紙は1400年近く前のものという結果が出た。「私は研究者ですから、まず疑ってかかりました。まさかそこまで古いはずはないと」。だが、トーマス氏は続けた。「放射性炭素年代測定法の精度はとても高いのです」(参考記事:「写本の鑑定方法の詳細:放射性炭素年代測定」)

     インクはまだ分析されておらず、文字自体は羊皮紙が作られてからかなり後に書かれた可能性もある。しかしトーマス氏は、「この羊皮紙は、コーランを文字で残すという目的のため特別に作られたのではないかと推測しています」と話す。

     2ページにはコーランの18章から20章までが記されており、現在の文章にかなり近い。このことから、コーランの文言はイスラム史の初期段階で固まり、後代の加筆や時代に伴う変化はほとんどなかったという見方が裏付けられたとトーマス氏は説明した。(参考記事:「イスラム教徒に課された五つの義務」)

     写本は、所蔵するバーミンガム大学で今年の秋に展示される予定だ。トーマス氏はこの写本を「感動的」と評価する。「これを書いた人物は、預言者ムハンマドと面識があった可能性があります。あるいは、ムハンマドを直接知る人物と知り合いだったかもしれません。つまり、ムハンマド本人につながる手掛かりが与えられたのです」(参考記事:「カアバ神殿の周回、大巡礼「ハッジ」」)

    文=Rachel Becker/訳=高野夏美

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    1: もろ禿 ◆SHINE.1vOk もろ禿HINE! ★@\(^o^)/ 2015/07/24(金) 17:58:55.49 ID:???.net
    アレクサンドロス大王の父の墳墓を特定か | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
    http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/072300194/


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    1970年代の終わりにギリシャのヴェルギナでこの墳墓を発掘した考古学者らは、被葬者は古代マケドニア王フィリッポス2世だと結論付けた。しかし、フィリッポス2世は近くにある別の墳墓に埋葬されていることを示唆する新しい証拠が見つかった。(Photograph by Petros Giannakouris, AP )
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    遺骨を元に復元を試みた フィリッポス2世の肖像。フィリッポス2世は敵の矢に打たれ片目を失明したが、名だたる息子、アレクサンドロス大王を除いては右に出る者のない、洞察力のある指導者だった。
    (Photograph by James L. Stanfield, National Geographic Creative)


     新たな法医学的研究により、アレクサンドロス大王の父、古代マケドニア王フィリッポス2世の埋葬地を巡る長年の論争に終止符が打たれるかもしれない。

     1977年および1978年にギリシャのヴェルギナで王家の墳墓3基が発掘されて以来、フィリッポス2世はこのうち第2墳墓(「フィリッポスの墓」と呼ばれる)に埋葬されたものと多くの考古学者が考えていた。ところが、このほど第1墳墓から発掘された成人男性の脚の骨を分析した結果、大きな槍傷の跡が見つかり、古代の文献にフィリッポス2世が339年の戦いで負ったと書かれている傷と一致することがわかった。(参考記事:「ギリシャの墳墓、眠るのは大王の親族?」)

     今月20日、「Proceedings of the National Academy of Sciences」誌に発表された研究論文によると、今回の発見はフィリッポス2世の埋葬場所を特定する初の証拠であるだけでなく、第2墳墓の副葬品のいくつかがアレクサンドロス大王のものであった可能性を示すものだという。

     第1墳墓に埋葬された3体の遺骨を分析したのは、今回の研究チームが初めて。遺骨は中年男性と、死亡時に18才くらいだったと推定される若い女性、そして性別の不明な新生児のものであることがわかった。この法医学的証拠も、古代の文献に記されたフィリッポス2世と7人の妻のうちの最後の妻、そして子どもの死亡時の年齢と一致する。

     紀元前336年に暗殺される3年前、フィリッポス2世はスキタイ人との戦いで得た戦利品の分配話がこじれた結果、トラキアのトリバリ人と争いになり、瀕死の重傷を負った。セネカ、プルタルコス、デモステネスなどが古代ギリシャの文献で記述した傷の厳密な位置は異なっているものの、どの文献もフィリッポス2世がその傷が原因で脚が不自由になったとしている。

     第1墳墓から発掘された成人男性の脚の骨には左膝の部分に大きな穴が開き、骨が癒着して関節が動かなくなる重傷の関節強直がみられる。

     脛骨と大腿骨の長さから、負傷前のフィリッポス2世は身長1メートル80センチ近くあり、当時にしてはかなり背が高かったとみられる。おそらく負傷してからは、フィリッポス2世の足はおぼつかなくなり、体のバランスを取るために頭を右側に傾けて歩いたと推測される。(参考記事:「アレクサンドロス大王時代の墳墓の謎深まる」)

    【【考古学】アレクサンドロス大王の父(フィリッポス2世)の墳墓を特定か 古代文献に記された脚の傷跡を分析、従来説覆すか】の続きを読む

    1: もろ禿 ◆SHINE.1vOk もろ禿HINE! ★@\(^o^)/ 2015/07/23(木) 18:07:24.40 ID:???.net
    古代シナゴーグで発見された“場違いな”もの | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
    http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/072200192/


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    モザイク画の角にある演劇用の仮面。今年の発掘調査で発見された。(PHOTOGRAPH BY MARK THIESSEN, NATIONAL GEOGRAPHIC)
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    戦闘用の武具を付けられたゾウ。シナゴーグの東側廊で見つかった巨大なモザイク画には、ゾウのほかにも、アレクサンドロス大王と思われる人物も描かれている。このモザイク画の全体写真はまだ公開されていない。(PHOTOGRAPH BY MARK THIESSEN, NATIONAL GEOGRAPHIC)
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    聖書に登場する伝説上の英雄で、怪力の持ち主として有名なサムソン。ガザの門柱を両肩に載せている姿で描かれている。2013年に発掘された。(PHOTOGRAPH BY MARK THIESSEN,NATIONAL GEOGRAPHIC)


     イスラエル北部、ガリラヤ湖を見下ろす丘の上で、土に埋もれていたシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)の跡が見つかり、そこから見事なモザイク画に飾られた床が次々に姿を現した。

     さまざまな色の石で描かれたモザイク画が最初に発見されたのは2012年。それ以来、米国ノースカロライナ大学教授のジョディ・マグネス氏とイスラエル考古学庁の考古学者スハ・キシレビッツ氏は、毎年6月に現場へやって来て、地下に眠る遺跡の発掘調査を続けている。

    「モザイク画が出てきたのには、本当に驚きました」と、ナショナル ジオグラフィックの支援を受けて、古代のユダヤ人集落であるフコックの遺跡発掘を指揮するマグネス氏は語る。「このタイプのシナゴーグとしては、フコックから数キロ離れたカペルナウムのものが代表的ですが、床は敷石に覆われています。一般的にはモザイク画で飾られた床はないんです」

     シナゴーグの基礎部分から出土した陶器の破片やコインなどの遺物をもとに、フコックの遺跡が5世紀頃のものだと、マグネス氏は推定している。ローマ帝国がこの地を支配し、キリスト教がローマの国教となった後のことだ。(参考記事:2012年9月号「ローマ帝国 栄華と国境」)

     2015年も6月に入って発掘調査が再開された。専門家と学生ボランティアから成るチームが最初に取りかかったのが、2013年と2014年の発掘で一部が見つかっていた大きな長方形のモザイク画だ。埋もれていた部分を掘ったところ、シナゴーグの東側廊の床に敷き詰められていたものと判明。幅は3.4メートル以上もあった。

     飾りひもに縁取られたモザイク画は、横方向に3つの帯状のセクションに区切られている。そこに、槍と盾を手にした兵士たち、戦闘用の武具を付けられたゾウ、戦いの後の様子、ローブをまとった男たちが描かれている。

    「ヘブライ語の聖書にゾウは登場しません。聖書に書かれていない事物が古代のシナゴーグから見つかった例は、これが初めてです」とマグネス氏は話す。

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    1: もろ禿 ◆SHINE.1vOk もろ禿HINE! ★@\(^o^)/ 2015/07/21(火) 12:24:49.15 ID:???.net
    炭化した古代ヘブライ語の巻物、21世紀技術で解読に初成功 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
    http://www.afpbb.com/articles/-/3055017


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    【7月21日 AFP】6世紀のものとされる炭化した羊皮紙の巻物に記された古代ヘブライ語の解読に、最先端技術を用いて成功したと、イスラエルと米国の国際研究チームが20日発表した。

     この巻物は、1970年に死海(Dead Sea)沿岸のエン・ゲディ(Ein Gedi)にある古代ユダヤ教会堂遺跡の灰の中で発見された。聖書写本群「死海文書(Dead Sea Scrolls)」に次いで古い書物だが、これまで解読が不可能だった。

     イスラエル考古学庁(Israel Antiquities Authority、IAA)のプニナ・ショル(Pnina Shor)氏は「最先端技術によって、約1500年前の巻物をバーチャル世界で文字通り広げることができた。聖書の一部だった」と記者団に語った。「死海文書以来、最も重要な聖書文書の発見だ」

     1970年の遺跡発掘チームの一員だった考古学者のセフィ・ポラト(Sefi Porat)氏は、「発見直後にも解読を試みたが、うまくいかなかった」と明かした。「当時の技術では、そこに何が隠されているかは分からなかった」

     長さ7センチの巻物は、一見すると木炭のかけらのようだ。

     ショル氏によるとこの羊皮紙片には、旧約聖書のレビ記(Leviticus)の冒頭8節が書かれていることが分かった。レビ記には、いけにえの儀式に関する諸規則が記されている。

     長年、詳細不明の「閉じられた書物」としてIAA内の書庫に死海文書とともに保管されていた羊皮紙片は、イスラエルの分析機器メーカー、メルケル・テクノロジーズ(Merkel Technologies)が昨年マイクロCTスキャン装置を提供したことで解読に至った。3次元(3D)スキャン結果を米ケンタッキー大学(University of Kentucky)情報工学部に送り、同大が開発したデジタル画像化ソフトウェアで最初に得られた画像が先週、IAAに届いたのだ。

     完全だったときの巻物にはユダヤ教の聖典トーラー(Torah、モーセ五書)全てが記載されていたとショル氏はみており、2000年以上前に書かれた死海文書と、10世紀のアレッポ写本との間にある重要な隙間を埋める発見だとしている。

     ただ、ケンタッキー大のブレント・シールズ(Brent Seales)教授によれば、羊皮紙片からさらに情報を取り出せるかどうかはまだ不明だという。(c)AFP/Steve Weizman

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    1: もろ禿 ◆SHINE.1vOk もろ禿HINE! ★@\(^o^)/ 2015/07/15(水) 12:24:25.33 ID:???.net
    「海賊キッドの沈没船と財宝ではない」ユネスコが否定 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
    http://www.afpbb.com/articles/-/3054515?ctm_campaign=topstory


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    【7月15日 AFP】国連教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)は14日、17世紀の悪名高い海賊ウィリアム・キッド(William Kidd)、通称キャプテン・キッド(Captain Kidd)の財宝を発見したという米国人探検家の主張を否定した。

     海洋考古学者のバリー・クリフォード(Barry Clifford)氏は今年5月、マダガスカル沖でキャプテン・キッドが乗っていた「アドベンチャー・ギャリー(Adventure Galley)号」とみられる沈没船を発見し、その中から50キロの銀の延べ棒が見つかったと発表。これで同海域の長年に及ぶ謎の一つが解明されたと主張していた。

     しかしクリフォード氏の主張を確認するため発見現場を訪れたユネスコの専門家チームは、大々的に報じられた同氏の発表を冷たく一蹴した。

     ユネスコの報告書によると、「銀」の延べ棒とされたものは鉛の重しにすぎず、沈没船はマダガスカルの東にある小さなサント・マリー(Sainte Marie)島の湾に残っていた古いがれきだとしている。

     また報告書は、「海賊キャプテン・キッドの『アドベンチャー・ギャリー号』だとされたものは、サント・マリーの港にある建築物の破損した一部だということが分かった。船の残骸は一切見つかっていない」「また同域から回収されたという金属の塊は『銀の財宝』などではなく、95%が鉛だった」「銀は含まれておらず、鉛のバラスト(船の重り)の一部と特定された」としている。

     自身の探検をテーマにテレビドキュメンタリーを制作しているクリフォード氏は5月、世界のメディアに取り上げられ、海賊キッドの「延べ棒」とするものをマダガスカルのヘリー・ラジャオナリマンピアニナ(Hery Rajaonarimampianina)大統領や米英大使にも披露していた。

     しかしユネスコは直ちに同氏の主張に疑義を呈し、潜水作業に考古学者を同行させていなかった点を批判していた。

     キャプテン・キッドは1645年ごろスコットランド(Scotland)に生まれ、当初は英当局から海賊退治役として雇われていたが、後に自ら冷血な海賊になった。

     1698年、高価な貨物を積んだ船を襲って略奪行為に及んだことから拘束されて囚人となり、英議会からの尋問を受けた後、1701年に処刑された。しかしその強奪品の多くの行方については謎のままとなっており、何世代にもわたって財宝発見を目指す人々の好奇心をかき立て、興奮をもたらしてきた。(c)AFP/Gaelle Borgia



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