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    カテゴリ: 考古学

    1: Mogtan ★@\(^o^)/ 2015/02/05(木) 18:10:41.04 ID:???.net
    掲載日:2015年1月7日
    http://www.afpbb.com/articles/-/3035803

     エジプト当局は6日、スウェーデン・ルンド大学(Lund University)の考古学チームが、古代エジプトの2神を描いたおよそ2500年前のものとみられる珍しい壁面レリーフ(浮き彫り細工)を発見したと発表した。

     レリーフが見つかったのは、首都カイロ(Cairo)から約850キロ離れたアスワン(Aswan)の北にある採石場。ルクソール(Luxor)にある有名なカルナック神殿(Karnak Temple)やルクソール神殿(Luxor Temple)の建造に使われた石が切り出されていた場所だ。

     上エジプト(Upper Egypt)地域の古文化財管理当局トップ、アリ・アスファル(Ali al-Asfar)氏はAFPに対し、「アモンラー(Amen-Re)神とトト(Thot)神を一緒に描いた数少ない彫刻」の一つだと語った。知性をつかさどる神トトは、聖鳥とされるトキの頭に人間の体を持つ。

     同じ場所ではこのほか、スフィンクスの形をした像1体に加え、2基のオベリスクが運ばれる場面を描いたレリーフも発見された。専門家らは、古代エジプト第18王朝のハトシェプスト(Hatshepsut)女王の時代に制作された可能性があるとの見方を示している。(c)AFP

    <画像>
    エジプト・アスワン(Aswan)近くにある採石場で、スウェーデンの考古学チームが発見した2500年前の壁面レリーフに描かれた古代神。
    エジプト考古最高評議会(Egyptian Supreme Council of Antiquities)提供(2015年1月6日提供)。(c)AFP/SCA
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    エジプト・アスワン(Aswan)近くにある採石場で、スウェーデンの考古学チームが2500年前の壁面レリーフを発見した採石場の入り口。
    エジプト考古最高評議会(Egyptian Supreme Council of Antiquities)提供(2015年1月6日提供)。(c)AFP/SCA
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    <参照>
    Archaeologists make unique discoveries in Egypt | Lund University
    http://www.lunduniversity.lu.se/article/archaeologists-make-unique-discoveries-in-egypt

    Gebel el Silsila Survey Project
    http://gebelelsilsilaepigraphicsurveyproject.blogspot.se/

    【【考古学】古代エジプトの2神描いた希少レリーフ、スウェーデン大が発見】の続きを読む

    1: もろ禿HINE! ★@\(^o^)/ 2015/02/05(木) 18:05:50.42 ID:???.net
    福岡の地下鉄延伸工事で発掘続々 (qBiz 西日本新聞経済電子版) - Yahoo!ニュース
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150205-00010000-qbiz-bus_all


     福岡市営地下鉄七隈線の延伸(天神南-博多)に伴う新駅(同市博多区祇園町)の建設工事現場で、弥生時代から江戸時代までの遺物や遺構が次々と出土している。長さ180メートル、幅20メートルという狭い範囲から、2千年にわたり栄えてきた博多の歩みがあらためて浮かび上がった。
    (写真はいずれも福岡市提供)

     新駅は南北1・6キロ、東西0・8キロに広がる博多遺跡群の南端に位置し、市は昨年10月、文化財調査に着手。弥生時代の甕棺墓(かめかんぼ)▽古墳時代の鏡「小型素文鏡(そもんきょう)」▽鎌倉時代の供宴の跡▽江戸時代の軒丸瓦(のきまるがわら)-などを確認した。

     博多遺跡群は1977年、現在の地下鉄空港線の工事に伴う調査で発見。これまでに中国産などの輸入陶磁器が多く出土し、博多が中世の国際貿易の拠点だったことを裏付けてきた。今回の調査は10月までの予定で、同市埋蔵文化財調査課は「わずかな範囲を掘っただけでも、今も栄える博多の重層的な歴史が分かり、興味深い」としている。

     もし、今から数千年後に同じ場所で調査が行われたら-。弥生時代の遺構のさらに下層に広がる21世紀の地下鉄の遺構に、未来の歴史学者たちは驚くかも?

    【【考古学】福岡の地下鉄延伸工事で発掘続々 2千年にわたり栄えてきた博多の歩み】の続きを読む

    1: もろ禿HINE! ★@\(^o^)/ 2015/02/02(月) 17:50:08.03 ID:???.net
    マヤの水の神殿を発見 “激動の時代”の爪跡か | ナショナル ジオグラフィック(NATIONAL GEOGRAPHIC) 日本版サイト
    http://nationalgeographic.jp/nng/article/20150130/433789/


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    新たに発見された古代マヤの水の神殿の空撮写真
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    ベリーズのカラ・ブランカにある泉を探索した結果、干ばつ期に神への供物が増えていたことがわかった(Photograph by Tony Rath Photography)
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    カラ・ブランカ遺跡の泉に沈んだ木の間を探索するダイバー。マヤの人々は神への祈りを込めて壺や瓶、器を捧げた。(Photograph by Tony Rath Photography)
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    放射性炭素年代測定をおこなうため、カラ・ブランカの泉の底に沈んだ木からサンプルを採取する研究者。(Photograph by Tony Rath Photography)
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    かつてマヤの人々が雨乞いの儀式に使った泉を泳ぐシクリッドの群れ。(Photograph by Tony Rath Photography)


     ベリーズの静かな森にたたずむ深い泉に、古代マヤの人々に“干ばつカルト”が広がっていたことを示す遺跡が眠っていた。マヤの人々は、文明国家が滅びないようにと雨の神に供物と祈りを捧げたようだ。

     今回、考古学者のグループがベリーズのカラ・ブランカで発見したのは、水の神殿の遺跡だ。小さな広場があり、朽ちた小屋と小さな2つの建造物の名残がみられる。中心となる建造物は、人々がマヤの雨の神や地下界の悪魔に供物を捧げたとみられる深い泉の淵にひっそりと建っている。

     遺跡からは、古代マヤ文明の崩壊期に干ばつに見舞われた人々の信仰が見てとれる。ピラミッドを築いたマヤ文明は、長きにわたり中央アメリカの広範囲で繁栄したが、西暦800年以降、ほとんどの都市国家が崩壊した。

     カラ・ブランカの白い岩壁の下で、祈りを捧げに訪れた人々は壺や瓶、器などを神殿の泉深くに沈めた。供物には近辺で作られたものと遠くから運ばれたものがあり、この遺跡に広く一帯から人々がやって来て雨乞いをしたことを示している。

    神聖な意味をもつ場所

    「祈りを捧げる人々がここへ来て身を清め、神に供物を捧げていました」今回の発見をした研究チームのリーダーでイリノイ大学の考古学者、リサ・ルチェロ氏は言う。ルチェロ氏は、セノーテと呼ばれる天然の泉の深さを4年かけて測定し、セノーテの底に長い間発見されずにあった陶器や石の道具を発見した。「ここは、神聖な意味をもつ特別な場所だったのです」

     しかし、人々が常に足繁くこの神殿を訪れていたわけではなかった。とりわけマヤ文明初期の供物が少なかったことは、裏を返せば、泉に住むとされた雨の神チャクの怒りが鎮まるように、ある時点から人々が強く望むようになったことを示しているのかもしれない。近く「Cambridge Archaeological Journal」誌に発表されるこの発見に関する報告で、ルチェロ氏とカリフォルニア州モアパーク・カレッジの考古学者アンドリュー・キンケラ氏は、広範囲の干ばつが古代マヤを襲った後に神殿への供物が増えたと指摘している。

    干ばつカルト

     だが供物もむなしく、雨の神チャクと地下界の悪魔は古代マヤ文明を滅亡させた――雨を降らせてから、干ばつをもたらして。ペンシルバニア州立大学の人類学者ダグラス・ケネット氏の研究チームは、洞窟にできた石筍(せきじゅん)を分析し、大量の降雨によりマヤの人口が急激に増え、西暦660年まで続いたことが推定されると報告している。雨が降らなくなると、古代の王国は滅びた。

     度重なる干ばつにより王の失脚が続き、西暦800年頃から中央アメリカ全体でマヤ文明の都市国家は崩壊し始めた。また干ばつによって、チャクの怒りを鎮めようとする人々の間で“干ばつカルト”に火がつき、突如滅亡の危機にさらされた古代マヤのあちこちで、洞窟やセノーテに多数の供物が捧げられた。

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    1: Mogtan ★@\(^o^)/ 2015/01/30(金) 20:11:54.67 ID:???.net
    掲載日:2015年1月29日

     奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡(国史跡)で、3世紀後半~4世紀初め(古墳時代前期)に占いに使ったとみられる動物の骨「卜骨(ぼっこつ)」が見つかり、桜井市教委が29日発表した。邪馬台国の有力候補地とされる纒向遺跡で卜骨が出土したのは初めて。調査を担当した市纒向学研究センターは「当時の祭祀(さいし)のあり方を考える上で意義深い発見」としている。

     卜骨はイノシシの成獣の右肩甲骨で、長さ16.7センチ、幅6.7センチ。人工的に掘られた穴の底部から見つかった。直径1センチほど丸く削った部分が3カ所あり、それぞれ点状に焦げた跡があった。先端が細い熱した道具を押し付けてできたとみられる。

     中国の歴史資料「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に、3世紀の日本では人々が骨を焼き、割れ方を見て吉凶を占ったとの記述がある。卜骨は紀元前の弥生時代前期から全国で確認され、古墳時代に減少。7世紀以降の律令時代には国が祭祀の部署を設け、亀の甲羅を焼く占いをした。

     同センターの寺沢薫所長(考古学)は「卜骨は弥生時代、農耕儀礼などに使われたと考えられる。民の祭りが国家的な祭りにどう変わったかを解釈するための重要な資料だ」と話した。

     纒向遺跡は3世紀初頭に出現した大規模集落遺跡(南北約1.5キロ、東西約2キロ)。卑弥呼(ひみこ)の墓との説もある箸墓(はしはか)古墳などが点在する。

     現地説明会は2月1日午前10時~午後3時。JR巻向駅から徒歩5分。駐車場はない。

    <画像>
    丸く削り、熱源を押し付けた跡が3カ所残る卜骨=奈良県桜井市の纒向学研究センターで、矢追健介撮影
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    <参照>
    纒向遺跡ってどんな遺跡?|桜井市纒向学研究センター
    http://www.makimukugaku.jp/info/iseki.html

    <記事掲載元>
    http://mainichi.jp/select/news/20150130k0000m040092000c.html

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    1: Mogtan ★@\(^o^)/ 2015/01/29(木) 21:00:19.79 ID:???.net
    掲載日:2015年1月29日

     中東で発見された約5万5000年前の頭蓋骨の一部について、現生人類の祖先がアフリカの発祥地をいつ離れたかに関する手掛かりを与えるものとする研究論文が、28日の英科学誌ネイチャー(Nature)に掲載された。この発見は、現生人類の祖先がネアンデルタール人(Neanderthals)と共存していたとする説の裏付けにもなるという。

     米ケース・ウェスタン・リザーブ大学(Case Western Reserve University)などの国際研究チームが発表した論文によると、イスラエル北部ガリラヤ(Galilee)地方の西部にあるマノット(Manot)洞窟遺跡で発見されたこの頭蓋骨は、解剖学的現代人と呼ばれる初期の現生人類「ホモ・サピエンス(Homo sapiens)」の特徴を持っているという。

     マノット洞窟から北と北西に数十キロしか離れていないケバラ(Kebara)とアムッド(Amud)の2か所の洞窟遺跡では、これまでにネアンデルタール人の骨が発見されている。

     これらの古代人の骨は、5万年前から6万5000年前の時代のものだ。つまりこの2種の人類は、同時代に、おそらく地理的に近い場所に共存していた可能性がある。

     同大の古生物学者、ブルース・ラティマー(Bruce Latimer)氏は「現人類とネアンデルタール人が同じ時代に同じ場所にいたことは以前から推察されていたが、物的証拠がなかった。今回われわれはこの新たな化石で、まさしくそれを手に入れた」と述べた。

     人類系統樹における謎の分岐グループの一つであるネアンデルタール人は、その化石や骨角器が欧州、中東、中央アジアなどで発見されている。

     ネアンデルタール人が姿を消し始めるのは約3万年前。この不思議の最期は、ホモ・サピエンスによって絶滅に追い込まれたか、現生人類との異種交配の結果として姿を消したのではないかなどの推測を呼んでいた。

     かつては突飛な説と考えられていた「ネアンデルタール人との交雑」説は2010年以降、ネアンデルタール人の骨から抽出されたDNAの分析が進んだおかげで広く受け入れられるようになった。

     非アフリカ系現代人の全遺伝子の約2%がネアンデルタール人から受け継がれたものであることを同説は示唆している。欧州地域人ではこの割合がさらに高く、最大で約4%に達する可能性がある。

    <画像>
    イスラエル北部ガリラヤ地方の西部にあるマノット洞窟遺跡で発見された頭蓋骨(2015年1月28日撮影)。(c)AFP/MENAHEM KAHANA
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    <参照>
    ▶ Ancient Skull May Mark Where Humans First Met Neanderthals - YouTube
    https://www.youtube.com/watch?v=W14m7hHOANg



    Levantine cranium from Manot Cave (Israel) foreshadows the first European modern humans : Nature : Nature Publishing Group
    http://www.nature.com/nature/journal/vaop/ncurrent/full/nature14134.html

    <記事掲載元>
    http://www.afpbb.com/articles/-/3038112

    【【古人類】中東で発見の現生人類の頭蓋骨、人類大移動解明の手掛かりに】の続きを読む

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